2009年 08月 19日
神楽語り 3 |
廃工場で取引していた人間は全員逮捕。近衛を襲撃した金髪の剣士との関連は否定。取り調べをしている鞍馬刑事によると、虚偽の証言という見込みは薄いとの報告。
近衛の被害は御剣愛佳少尉が重傷。その他、愛佳の部隊の全員が負傷。応援に向かわせた天満中尉の部下も負傷。そして、御剣優佳大尉の戦死。ただの麻薬取り締まりの結果としては、惨憺たるものとなった。
金髪の剣士はシロの追跡をあっさりと振り切って逃走。シロの鼻と眼を持ってしても、性別すら定かではない。
死傷者の搬送。逮捕者の取り調べ。現場の始末。警察との折衝。報告書の作成。そういった後処理をこなしているうちにようやく夜が明けてきた。
その間、由貴は一睡もしていない。誰かが死んでも諸々の手続きは変わりがないし、むしろ有能だった優佳が居なくなった分そう言った作業は煩雑化している。
それに実際問題として有馬家当主であり第四部隊の隊長でもある由貴に休んだり、優佳の死に呆けている暇はなかった。じっとしていると、無意味に叫んで刀を振り回したくなりそうだという精神状況もそれを助長している。
負傷者と死者の喪失でやけに広くなった部屋の中で、書き上げた書類を前に一息をつくと、机の上についと紅茶が置かれた。
「ああ、ありがとう御剣――」
言いかけて気付く。天満中尉が気まずそうな顔でそこに立っていた。普段は言いたい事もそれ以外もはっきりと喋る彼が、今は言葉を探すように口をもごもごとしている。
「ありがとう天満中尉。君の方の仕事は終わったのか?」
「ええ。報告書は一通り国立中佐に提出しています。あの――」
「ならば君も休め。報告書への質疑は後でいい」
意図的に実務の会話に終始し、何事かを言いたそうな天満中尉を封殺する。その態度に天満中尉は一瞬だけ目を伏せて、それでも緩慢に部屋を出て行った。
紅茶を一口含んで、その苦さに顔を顰める。
普段紅茶を淹れない天満中尉に自分の好みが分かるはずもない。その中尉がわざわざ淹れたと言う事は、自分は相当に酷い状態なのだろう。自分の仕事を放棄するのも、部下に必要以上の心配をされるのも有馬由貴という人間には失点以外の何物でもない。
側で寝そべっているシロを見やる。視線を感じて、この優しくも頼りになる雌狼は瞼を開いた。優佳の戦死以降、二人とも事務的な会話以外かわしていない。今も何も言わずに、ただこちらを見上げているだけだった。
そのシロが、唐突に体を足に擦り寄せてきた。それは優佳の喪失という衝撃から来る甘えのようでも、同僚の死に危険な緊張を孕んでいる由貴を叱咤しているようでもあった。
擦り寄せられた体に手を伸ばし、ゆっくりと撫でる。白い獣毛の奥から体温を感じた。その温かさが、嫌が応にも優佳の冷たさを思い起こさせる。
部下の死は初めてではない。近衛の仕事はそれほど苛烈であり、故に軍事組織として結成されている。だが、ここまで近しい同僚の死は初めてだった。
湯気の立つ紅茶を見る。もう黙っていても自分好みの紅茶が出てくる事も、どこか年上らしくないはにかんだ笑顔で茶請けの感想を聞いてくる事も、くだらない雑談をする事もない。
その思いが手から伝わったのだろう。今度ははっきりと労りの心と共に、手の甲がぺろりと舐められた。契約によって共に寄り添う一人と一匹は、どちらも言葉で何を言ってよいのか分からなかった。ただ触れ合う事で、互いを思う気持ちを伝える以外は何も出来ない。
奇妙な膠着を見せたその場を、電話のコール音が打ち破った。外線を取ると、御剣優佳の検死が終了したとの報告だった。
「シロ、検死局に行こう。報告書はそれからだ」
結局、事務的な会話しかせずに椅子から立った。
検死局は警察署と近衛本部の斜向かいにあり、その三つの建物で三角形を形成している形になる。車を使うでも無く、歩いて一分で建物に到着する。
受付に近衛の身分証を見せ、そのまま電話で指示された部屋に入る。遺体の保存の為に部屋は室温が低くなっており、冷蔵保存ラックからも冷気が漏れていた。
「やあ、来たね」
こちらを見上げて、眼鏡の女医がけだるそうに手を挙げた。稲荷橋礼子。市民階級の優秀な医師であり、これまでにも死者から重大な手がかりを幾つも入手している。医者と市民階級の意見も的確で、頼りになる女性だった。
いつもはどこか茫洋としながらも利発そうな顔立ちが、今は疲れを示して沈んでいた。稲荷橋にとっても顔見知りである優佳の検死は精神的に堪えたのだろう。
「所見は書類にまとめてあるけど、実際に説明した方が良いかな?」
「ああ、よろしく頼む」
その立場と十六という年齢故に大抵は他組織の人間に丁寧な言葉を使う由貴ではあるが、稲荷橋に対してはざっくばらんな口調で応じている。出会った当初に稲荷橋がそう望み、由貴がそれを受け入れた。稲荷橋にはそうさせる気安さがあった。
検死台に乗せられた袋のファスナーを下げる。中から死体特有の青白さを持った、その身に一糸まとわぬ優佳が現れた。改めて見る知人の死に顔は、由貴に締め付けられるような何かを残す。
「死因は見ての通り鋭利な刃物による胸への一突き。傷を見るに、小さくぶれが無くて相当の腕前だと分かる。だけど妙な点が幾つかある」
豊かな胸の間に付けられた刺し傷を示しながら、稲荷橋はゆっくりと優佳を裏返した。
「綺麗にど真ん中を刺しているのに、裏側には傷が一つもない。短い刃物じゃないとこうはならない。有馬大尉、犯人は短刀を?」
「いや、西洋式の長剣だったな」
言いながら現場を思い出す。あの時は激昂していて気付かなかったが、剣は身体を貫通していないかった。手練れの御剣優佳を一撃で死に至らしめるほどの技量があれば、貫くのは簡単であるはずだ。
「そうか。もう一つ、今度はここ」
優佳の姿勢を戻し、傷口の下に手を添え、そのまま沈み込ませる。そこにあるはずのものが無い為の現象。
「彼女の心臓が無くなっている。念のためにスキャンしてみたが、間違いない。他の臓器には全く異常はなく、まるで傷口から吸い取られたように心臓だけが綺麗に無い。それに次いで、血液も殆ど無くなっている」
再度、思い出す情景。遺体は驚くほど軽く、傷口からは全く血が出ていなかった。身体も死んだばかりにしては異様に冷たく、それらが今の言葉を証左している。
由貴の脳が回転を始める。犯人が優佳だけを殺害した理由。心臓だけを破壊した理由。そもそもあの場で襲撃を仕掛けてきた理由。考えても何一つとして正答を得られない。苛立ちと悔しさに奥歯を噛み締める。
「私は士族の使う神霊力にはあまり詳しくないが、こういう異能というのは良くあるものなのか?」
「少なくとも有馬の土地では知らないな。というよりは御神楽の国そのもので聞いた事がない。犯人は西洋人らしき人間だった。恐らくその現象も西洋式の何かだと思う」
「ならその線で追った方が良いな。こんな事が出来るというのは少なくとも市民階級の仕業ではないし、力の弱い者の仕業でもない。大まかな所見は以上だ。その他の細かい所は書類を読んでくれ」
遺体を元に戻し、ファスナーを閉める。首元まで上げた時に、ふと手を止めた。
「辛いものだな。知り合いを検死するというのは」
その言葉に、稲荷橋の思いが全てこめられていた。
済まない、と反射的に口に出そうになったのを何とかこらえる。稲荷橋はそんな言葉を望んでいるわけではない。辛くともただプロとして仕事を果たし、それを伝えただけだ。それを依頼した自分が報いる為にはただ一つ、犯人を捕らえる事のみ。
「遺品は全て鑑識済みだから、持って帰っても構わないよ」
「ああ、ありがとう。行こう、シロ」
扉に手をかけた所で止まる。背中に向けられた視線に、思わず振り返った。眼鏡の奥の瞳が、由貴の深奥を覗き込むように光っていた。
「死体は何も喋らない。だが多くのものを残してくれる。それを知るかどうか。生かすかどうかは私達次第になる」
由貴は気付く。稲荷橋は由貴の深奥を覗こうとしているのではない。己の深奥をさらけ出し、故に相手のそれを見ているのだ。お互いに隠しようのない本音。憤りと悔しさのやりとり。
「死者も生者も、周りに残すのは生きる為の、生かす為の何かだ。それを拾い上げられるのは人の叡智と――」
「意志のみ。貴女の持論だな」
稲荷橋が頷く。人を殺し、あまつさえその身体の一部を奪った犯人に対して並々ならぬ怒りがその瞳に宿っている。公私混同を嫌う稲荷橋にしては、珍しい感情の露出だった。
「俺は俺に出来る事を全力で行う。それが御剣大尉へ報いる事だと思っている」
そしてそれは由貴も同じだった。近しい人を殺され、腹の奥で怒りと悲しみが渦巻いている。時にそれが狂吼と共に露出しそうになるのを、理性という蓋で押し止めていた。恐らくはシロも同じだろう。だが――
「どうしてだろうな。御剣大尉だけは俺の側でずっと戦ってくれると思っていた。そんな事、あるはずはないのにな」
抑えきれなかったものがこぼれ落ちた。その言葉の意味を、喋ってから気付いたかのように由貴は上を見上げた。無機質な照明と天井だけが目に映る。
「もう行くよ。新しい事実が判明したら連絡してくれ」
それだけを言うと、今度こそ立ち止まらずに部屋を出て行く。静寂が訪れた部屋で、稲荷橋がいつまでも死体袋を見つめ続けていた。
手続きを経て遺品を受け取る。胸に穴が開いた近衛の制服と下着。大刀。財布。そして個人認識票。それだけだった。
個人認識票を手に取る。国外ではドッグ・タグとも呼ばれるそれには名前と誕生日、血液型と出身地が記されている。表側の認識票を一瞥してから、裏に何かが彫り込んである事に気付く。
『我が刃は我が志の為にのみ』
遺品と同じく、簡素な言葉だった。由貴はやっていないが、個人認識票の裏になにかの言葉を彫り込む衛士は多い。それは誰かへのメッセージであったり、感銘を受けた言葉であったり、あるいは信念であった。
おそらくは優佳の信念である言葉を何度も読み返す。彼女は何を思ってこの言葉を彫り、刃を振るっていたのだろうか。戦っている時の苛烈なまでの顔が思い浮かぶ。今は鮮明に思い出せるこの顔も、時が経てば薄れていくのだろうか。
涙は流さない。俯いて涙を流せるのなら、その力は前を向く為に使うべきだと由貴はシロに教えられている。そしてそれは真実だと知っていた。
「御剣大尉の事、好いていたのか?」
不意にシロが問うてきた。由貴は認識票の言葉を指でなぞりながら、曖昧に首を振る。
「俺は近衛で大士族で有馬家の現当主だぞ。個人的な好悪で人付き合いが出来る立場じゃない」
「でも、お前は嫌いな人間と仲良くできるほど器用でもない」
「そうだな……そうだな。そうだったな」
それが答えだった。軍衣の裾が下に引っ張られる。シロが噛みついていた。これは彼女のしゃがめと言うサインであり、由貴は素直に従った。
目線を合わせた所に、シロの舌が由貴の頬を舐めた。頬と言わず鼻、目尻、口、首筋とシロの暖かく、少しざらついた舌が這い回る。
シロがこういう風に甘えてくるのは珍しかった。霊種として由貴と契約した時の状況から、普段は由貴が全てを預けるような関係性になっている。
あるいはこれも由貴に対するシロなりの慰めなのか。身体を擦り寄せ、舌で舐め続けるシロを甘受する。ささくれ立ち、少しの刺激で噴出しそうな感情が和らいでいく。眼を閉じて、その温かさに感謝する。
「ありがとう、シロ。愛してるよ」
「辛くなったらいつでも言え。私はその為にお前の側に居る」
返事の代わりに、シロの身体を撫でる。多少乱暴とも言える手つきに、しかしシロは喉を鳴らして喜んだ。
それが有馬家当主の男と霊種である雌狼、一人と一匹の関係性だった。
遺品を持って近衛本部に戻ると、近衛参謀に出頭するように命じられた。遺品を置いて参謀室の扉を叩く。中から「どうぞ」と応えがあり、シロと共に入室する。
「有馬由貴大尉。命令により出頭しました」
うむ、と頷いて奥の机に座っているのは国立章弘中佐。近衛将校ではあるが、士族ではない。人心掌握と采配の巧みさを買われて御神楽国軍から引き抜かれた、市民階級の男だった。
近衛は基本的に士族で構成されるが、士族のみの部署は現場に出る衛士隊だけである。後方で指揮を執る佐官クラス、事務仕事などの内勤の部署には市民階級の人間も在籍していた。
国立と由貴との付き合いも入隊当初からで、それなりに長い。謹厳実直を体現したようなこの男は上官としても、個人としても信頼の出来る人間だった。
敬礼をしてから、来客用に設えられたソファーに誰かが座っている事に気付く。
年の頃は二十歳という辺り。若さと熟成の半ばの顔立ちが、凛と由貴を見据えていた。緩やかに波打った金糸のような髪が、さらりと揺れている。
白地に緑で縁取られた上等な軍装といい、すぐ横に立てかけられている大振りの剣といい、西洋の貴族なのには間違いがない。これだけは正装と違うと思われる、胸にかけたペンダントの石が黄色く輝いていた。
「中佐、彼女は?」
「彼女はアルテミシア・ル・ヴァナ・カリファート。ヴァリターナ皇国カリファート家の次女であり、皇国騎士団の百翼騎士、我々で言えば大尉階級にあたる」
そのままヴァリターナ語に切り替えて由貴を紹介する。ヴァリターナ皇国は世界でも有数の大国であり、その言葉も公用語として採用している国は多い。
御神楽でも、ある程度以上の立場のものなら日常会話程度の教養は有していた。もちろん、有馬家当主である由貴も例外ではない。
『貴公が有馬大尉か。私はアルテミシア・ル・ヴァナ・カリファート。よろしく頼む』
『どうも、こちらこそよろしく』
やや堅苦しい喋りに、彼女の出自がある程度高い階級の貴族だろうと見当を付けた。侯爵か、或いは公爵か。握手した手の平の固さに、横にある大剣が飾りではない事が知れた。
御神楽に大士族、士族、市民と区分けがあるように、ヴァリターナ皇国に代表される西洋諸国にも身分の区別がある。貴族階級と市民階級という、大別すれば二つだが、貴族はその中で更に細かく分類されていた。下から男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵、王位となり、格式を重んじる貴族社会ではそこに家柄の古さなども加わってくる。
そうして御神楽と同じく、貴族による罪を取り締まる為に貴族による騎士団が結成されていた。
御神楽は外国人の流入に非常に厳しい国として知られているが、流石にヴァリターナ皇国を無視できるほどに世界の輪から外れても居ない。人と違って技術の輸出入には積極的ではあるので、両者での交流はさほど珍しくなかった。
士族による近衛と貴族による騎士団というシステムの近似もあって、開放的な家風である佐倉などは騎士団と近衛の人員を交換留学させているほどである。
だが、同僚の御剣大尉が西洋式の剣で殺害され、その日の内にヴァリターナの人間が来るというきな臭さが、由貴の眉を顰めさせた。
「で、どういう事です?」
「今回の事件に彼女を参加させる」
端的な答え。国立の表情は微塵も動かない。由貴も表情を全て取り払ったかのようなのっぺりとした顔で国立を見た。
「意味が分かりかねますが」
「大尉、質問は明確にしろ」
「俺だって馬鹿じゃない。御剣大尉が西洋人と思しき人間に殺され、日付も変わらないうちにその事件の捜査にヴァリターナ皇国の騎士が参加する。奇妙だと思うのが当然でしょう。あるいは俺は、彼女が犯人ではないかとも疑っているのですが」
言ってカリファート家の次女を見やると、御神楽の言葉は習得していないのか超然とした態度で出された紅茶を含んでいる。
その姿に奇妙な違和感を感じて注意深く観察すると、胸のペンダントが今は紅に光っていた。どういった仕組みかは知らないが、色が変化する宝石らしい。いかにも貴族らしい、けれん味の効いた趣味だった。
「口を慎みたまえ、大尉。カリファート家は侯爵家であり、格で言えば大士族に勝るとも劣らない。彼女はカリファート家から奪われた神具が御神楽に持ち込まれたのを突き止め、こちらに協力を要請しに来たのだ。それ以外に他意はないと言っている」
「まさかそれをそのまま信じたわけではないでしょうね?」
「もちろん、調査はする。するが、彼女の国際法に基づいた要請を無視するわけには行かない。よって、君と共同で専従捜査をして貰う。御剣大尉を殺害したのはその神具に違いないと、彼女の言質も取ってある」
だから自分が呼ばれたのか、と由貴は舌打ちしたい気持ちを必死に隠す。同階級、大士族と侯爵という釣り合う家柄。ヴァリターナ語が喋れる。これだけ揃えば由貴を彼女にあてがうのも無理はない。
だが、気になる情報もある。今回の事件が神具による犯行という点だ。
神具は貴族にのみ扱えるもので、武具や道具、或いは着衣や装飾品など様々な形態で存在していた。
個人がそれぞれ神霊力を発現させる御神楽の士族と、神霊力を有する神具の能力を発現させるヴァリターナの貴族。近衛と騎士団というシステムは似通っていながら、そこに属する者達は対称的な存在だった。
「分かりました。ですが、最後に一つ聞いて良いでしょうか?」
素振りだけで国立が促す。その眼をひたと見据えて訪ねる。
「彼女の派遣に有馬の先代が関わっている可能性は?」
つい、と国立の眼が細められる。付き合いの長い人間だけが分かる、怒りの表情。由貴は自分が失言をした事を悟った。
「近衛は士族で成り立っている軍隊ではあるが、士族の家から横槍が易々と入るほど脆弱な組織ではない。事件を起こすだけならまだしも、こちらに人員を潜り込ませるのを許すほど、能なし揃いでもない。だからこそ、市民階級である私が大士族の現当主である君を部下に持っているのだ。あまり、近衛を舐めるな」
「は、申し訳ありませんでした」
逆鱗に触れてしまった事に対して詫びると、国立は鷹揚にそれを受け入れる。
「捜査の方法は大尉に任せる。君と彼女、双方が最大限の力を発揮できるように留意したまえ」
アルテミシアに向き直り、ヴァリターナ語で由貴と組ませる旨を告げる。貴族の娘は一つ頷くと。大剣を掴んで立ち上がった。その挙動に淀みがない事からも、日常的に大剣を側に置いている生活なのだと知れた。
「では行きたまえ。言っておくが、この事件に怒りを感じ、また早期解決を願っているのは私も同じだからな」
実直な国立の物言いに、由貴は丁寧な敬礼で返す。己に同意してくれる人がいるのは何ともありがたい事だと思いながら。
参謀室を出て第四部隊の執務室に向かう道すがら、それまで黙していたアルテミシアが不意に話しかけてきた。凛とした中にもどこか若さが伺える、聞き心地のいい発音が耳をくすぐる。
『私は何をすべきだろうか?』
『まず、貴女が知る限りの情報。犯行に使われた神具の説明と、犯人に心当たりがあるならそれも。後、襲撃を受けた俺の部下と面通しもして貰います』
「ふむ、それが私の潔白を証明する一因になるのかな?」
「そういう訳ではありま――ッ!?」
驚愕のあまり、立ち止まる。彼女は由貴がつられて御神楽語で返答するほど、完璧な御神楽語を操って見せた。立ち止まって相手を伺うような由貴を、優越と侮蔑の混じった眼差しで見据えていた。その胸の宝石は紫に輝いている。
「三代前のカリファート家に御神楽の士(さむらい)が逗留していてな。深く親交したそうだ。それ以来、カリファート家の人間は御神楽語の習得が義務になっている」
「……なるほどな」
つまりは、先程の参謀室での会話も全て理解していたと言う事だ。確認しなかった由貴と国立も迂闊だが、隠していた底意地の悪さに黒い物が腹に渦巻く。
「それで、貴公は私の事を疑っているようだが」
アルテミシアの物言いに、由貴は賓客用に取り繕う態度を完全に辞めた。軽く手を広げ、こちらも侮蔑するかのような軽い笑みを浮かべた。いい加減、事件から続く苛立ちが限界に来ていた。当主としての態度、近衛将校としての姿勢を取り繕う事が出来ない。
「当然だろう。この状況を見て、君が怪しくないと思う人間は少ないと思うがね。俺は自分を賢者だと思い上がるような人間ではないが、無知に甘んじる事の愚かさは知っている。そして現状に疑問を持たずに全てを受け入れるほど脳天気でもない」
石の色が変わる。紫から、紅に。そのかんばせは怒りで鋭くなっていた。どうやら、感情のようなものに反応する石らしい。どうにもキザな装飾具だと由貴は鼻を鳴らす。
「それに君の言を信じるならば、カリファート家が神具を奪われたお陰でこちらで事件が起こっている。そんな間抜けに付き合わされるこちらはたまったもんじゃない」
「無礼な男だな。この国に来る際に、私は御神楽の士というものに対して幾ばくかの期待を抱いていた。士というのはヴァリターナの騎士に勝るとも劣らない、誇り高い戦士であると伝わっていたからな。だが、士の頂点に立つ大士族とやらがこの有様か」
「礼儀はそれに値する人間を選ぶ。己の期待を他人に押しつけるような人間が、それに相応しいかどうか――」
「二人ともいい加減にしろ」
低い唸りと共に警告が発せられた。シロが牙を剥いて二人を睨め付けている。ふい、とその顎をかすかに揺らした。それの意味する所を悟って由貴が周りを見ると、廊下の真ん中で口論をする二人を、通りがかりの衛士達が怪訝そうに眺めている。
済まないと手を挙げて詫びると、シロは牙を納めて頷いた。一方のアルテミシアは驚いたようにシロを見つめている。
「い……犬が喋った」
「霊種である彼女が喋るのは当たり前だ。それに、シロは犬じゃなくカグラオオカミだ。間違えるな」
「いや、自己紹介が遅くなったのは私の落ち度だ、由貴。ミス・カリファート、私は白狼(シロウ)。よろしく頼む」
言って座り、耳を垂れた。人で言うなら腰を折って礼をした仕草である。白狼はシロの正式な名称であるが、幼少の由貴はシロと縮めて呼び、それが今に至るまで続いていた。
呆然としていたアルテミシアが、慌てて頭を垂れた。石の色は淡い桜色に変化している。
「あ、ああ。こちらこそ」
「由貴は若いが私の契約相手に相応しく、霊地を治める大士族である有馬の当主を務め、近衛の隊長たる能力も持ち合わせている有能な戦士だ。気は合わないかも知れないが、それは信じてくれると私は嬉しい」
「む、うむ」
やや不明瞭ながらも、もごもごと頷く。シロの言葉に、由貴はばつが悪そうに下唇を噛み締めた。この年上の相棒は、いつも自分の不手際を綺麗に納めてくれる。それが嬉しくもあり、十六となった今では悔しくもあった。
一瞬の沈黙。奇妙なその雰囲気を、由貴が手を振って打ち払う。
「ともかく、執務室に行こう。話はそれからだ」
近衛の被害は御剣愛佳少尉が重傷。その他、愛佳の部隊の全員が負傷。応援に向かわせた天満中尉の部下も負傷。そして、御剣優佳大尉の戦死。ただの麻薬取り締まりの結果としては、惨憺たるものとなった。
金髪の剣士はシロの追跡をあっさりと振り切って逃走。シロの鼻と眼を持ってしても、性別すら定かではない。
死傷者の搬送。逮捕者の取り調べ。現場の始末。警察との折衝。報告書の作成。そういった後処理をこなしているうちにようやく夜が明けてきた。
その間、由貴は一睡もしていない。誰かが死んでも諸々の手続きは変わりがないし、むしろ有能だった優佳が居なくなった分そう言った作業は煩雑化している。
それに実際問題として有馬家当主であり第四部隊の隊長でもある由貴に休んだり、優佳の死に呆けている暇はなかった。じっとしていると、無意味に叫んで刀を振り回したくなりそうだという精神状況もそれを助長している。
負傷者と死者の喪失でやけに広くなった部屋の中で、書き上げた書類を前に一息をつくと、机の上についと紅茶が置かれた。
「ああ、ありがとう御剣――」
言いかけて気付く。天満中尉が気まずそうな顔でそこに立っていた。普段は言いたい事もそれ以外もはっきりと喋る彼が、今は言葉を探すように口をもごもごとしている。
「ありがとう天満中尉。君の方の仕事は終わったのか?」
「ええ。報告書は一通り国立中佐に提出しています。あの――」
「ならば君も休め。報告書への質疑は後でいい」
意図的に実務の会話に終始し、何事かを言いたそうな天満中尉を封殺する。その態度に天満中尉は一瞬だけ目を伏せて、それでも緩慢に部屋を出て行った。
紅茶を一口含んで、その苦さに顔を顰める。
普段紅茶を淹れない天満中尉に自分の好みが分かるはずもない。その中尉がわざわざ淹れたと言う事は、自分は相当に酷い状態なのだろう。自分の仕事を放棄するのも、部下に必要以上の心配をされるのも有馬由貴という人間には失点以外の何物でもない。
側で寝そべっているシロを見やる。視線を感じて、この優しくも頼りになる雌狼は瞼を開いた。優佳の戦死以降、二人とも事務的な会話以外かわしていない。今も何も言わずに、ただこちらを見上げているだけだった。
そのシロが、唐突に体を足に擦り寄せてきた。それは優佳の喪失という衝撃から来る甘えのようでも、同僚の死に危険な緊張を孕んでいる由貴を叱咤しているようでもあった。
擦り寄せられた体に手を伸ばし、ゆっくりと撫でる。白い獣毛の奥から体温を感じた。その温かさが、嫌が応にも優佳の冷たさを思い起こさせる。
部下の死は初めてではない。近衛の仕事はそれほど苛烈であり、故に軍事組織として結成されている。だが、ここまで近しい同僚の死は初めてだった。
湯気の立つ紅茶を見る。もう黙っていても自分好みの紅茶が出てくる事も、どこか年上らしくないはにかんだ笑顔で茶請けの感想を聞いてくる事も、くだらない雑談をする事もない。
その思いが手から伝わったのだろう。今度ははっきりと労りの心と共に、手の甲がぺろりと舐められた。契約によって共に寄り添う一人と一匹は、どちらも言葉で何を言ってよいのか分からなかった。ただ触れ合う事で、互いを思う気持ちを伝える以外は何も出来ない。
奇妙な膠着を見せたその場を、電話のコール音が打ち破った。外線を取ると、御剣優佳の検死が終了したとの報告だった。
「シロ、検死局に行こう。報告書はそれからだ」
結局、事務的な会話しかせずに椅子から立った。
検死局は警察署と近衛本部の斜向かいにあり、その三つの建物で三角形を形成している形になる。車を使うでも無く、歩いて一分で建物に到着する。
受付に近衛の身分証を見せ、そのまま電話で指示された部屋に入る。遺体の保存の為に部屋は室温が低くなっており、冷蔵保存ラックからも冷気が漏れていた。
「やあ、来たね」
こちらを見上げて、眼鏡の女医がけだるそうに手を挙げた。稲荷橋礼子。市民階級の優秀な医師であり、これまでにも死者から重大な手がかりを幾つも入手している。医者と市民階級の意見も的確で、頼りになる女性だった。
いつもはどこか茫洋としながらも利発そうな顔立ちが、今は疲れを示して沈んでいた。稲荷橋にとっても顔見知りである優佳の検死は精神的に堪えたのだろう。
「所見は書類にまとめてあるけど、実際に説明した方が良いかな?」
「ああ、よろしく頼む」
その立場と十六という年齢故に大抵は他組織の人間に丁寧な言葉を使う由貴ではあるが、稲荷橋に対してはざっくばらんな口調で応じている。出会った当初に稲荷橋がそう望み、由貴がそれを受け入れた。稲荷橋にはそうさせる気安さがあった。
検死台に乗せられた袋のファスナーを下げる。中から死体特有の青白さを持った、その身に一糸まとわぬ優佳が現れた。改めて見る知人の死に顔は、由貴に締め付けられるような何かを残す。
「死因は見ての通り鋭利な刃物による胸への一突き。傷を見るに、小さくぶれが無くて相当の腕前だと分かる。だけど妙な点が幾つかある」
豊かな胸の間に付けられた刺し傷を示しながら、稲荷橋はゆっくりと優佳を裏返した。
「綺麗にど真ん中を刺しているのに、裏側には傷が一つもない。短い刃物じゃないとこうはならない。有馬大尉、犯人は短刀を?」
「いや、西洋式の長剣だったな」
言いながら現場を思い出す。あの時は激昂していて気付かなかったが、剣は身体を貫通していないかった。手練れの御剣優佳を一撃で死に至らしめるほどの技量があれば、貫くのは簡単であるはずだ。
「そうか。もう一つ、今度はここ」
優佳の姿勢を戻し、傷口の下に手を添え、そのまま沈み込ませる。そこにあるはずのものが無い為の現象。
「彼女の心臓が無くなっている。念のためにスキャンしてみたが、間違いない。他の臓器には全く異常はなく、まるで傷口から吸い取られたように心臓だけが綺麗に無い。それに次いで、血液も殆ど無くなっている」
再度、思い出す情景。遺体は驚くほど軽く、傷口からは全く血が出ていなかった。身体も死んだばかりにしては異様に冷たく、それらが今の言葉を証左している。
由貴の脳が回転を始める。犯人が優佳だけを殺害した理由。心臓だけを破壊した理由。そもそもあの場で襲撃を仕掛けてきた理由。考えても何一つとして正答を得られない。苛立ちと悔しさに奥歯を噛み締める。
「私は士族の使う神霊力にはあまり詳しくないが、こういう異能というのは良くあるものなのか?」
「少なくとも有馬の土地では知らないな。というよりは御神楽の国そのもので聞いた事がない。犯人は西洋人らしき人間だった。恐らくその現象も西洋式の何かだと思う」
「ならその線で追った方が良いな。こんな事が出来るというのは少なくとも市民階級の仕業ではないし、力の弱い者の仕業でもない。大まかな所見は以上だ。その他の細かい所は書類を読んでくれ」
遺体を元に戻し、ファスナーを閉める。首元まで上げた時に、ふと手を止めた。
「辛いものだな。知り合いを検死するというのは」
その言葉に、稲荷橋の思いが全てこめられていた。
済まない、と反射的に口に出そうになったのを何とかこらえる。稲荷橋はそんな言葉を望んでいるわけではない。辛くともただプロとして仕事を果たし、それを伝えただけだ。それを依頼した自分が報いる為にはただ一つ、犯人を捕らえる事のみ。
「遺品は全て鑑識済みだから、持って帰っても構わないよ」
「ああ、ありがとう。行こう、シロ」
扉に手をかけた所で止まる。背中に向けられた視線に、思わず振り返った。眼鏡の奥の瞳が、由貴の深奥を覗き込むように光っていた。
「死体は何も喋らない。だが多くのものを残してくれる。それを知るかどうか。生かすかどうかは私達次第になる」
由貴は気付く。稲荷橋は由貴の深奥を覗こうとしているのではない。己の深奥をさらけ出し、故に相手のそれを見ているのだ。お互いに隠しようのない本音。憤りと悔しさのやりとり。
「死者も生者も、周りに残すのは生きる為の、生かす為の何かだ。それを拾い上げられるのは人の叡智と――」
「意志のみ。貴女の持論だな」
稲荷橋が頷く。人を殺し、あまつさえその身体の一部を奪った犯人に対して並々ならぬ怒りがその瞳に宿っている。公私混同を嫌う稲荷橋にしては、珍しい感情の露出だった。
「俺は俺に出来る事を全力で行う。それが御剣大尉へ報いる事だと思っている」
そしてそれは由貴も同じだった。近しい人を殺され、腹の奥で怒りと悲しみが渦巻いている。時にそれが狂吼と共に露出しそうになるのを、理性という蓋で押し止めていた。恐らくはシロも同じだろう。だが――
「どうしてだろうな。御剣大尉だけは俺の側でずっと戦ってくれると思っていた。そんな事、あるはずはないのにな」
抑えきれなかったものがこぼれ落ちた。その言葉の意味を、喋ってから気付いたかのように由貴は上を見上げた。無機質な照明と天井だけが目に映る。
「もう行くよ。新しい事実が判明したら連絡してくれ」
それだけを言うと、今度こそ立ち止まらずに部屋を出て行く。静寂が訪れた部屋で、稲荷橋がいつまでも死体袋を見つめ続けていた。
手続きを経て遺品を受け取る。胸に穴が開いた近衛の制服と下着。大刀。財布。そして個人認識票。それだけだった。
個人認識票を手に取る。国外ではドッグ・タグとも呼ばれるそれには名前と誕生日、血液型と出身地が記されている。表側の認識票を一瞥してから、裏に何かが彫り込んである事に気付く。
『我が刃は我が志の為にのみ』
遺品と同じく、簡素な言葉だった。由貴はやっていないが、個人認識票の裏になにかの言葉を彫り込む衛士は多い。それは誰かへのメッセージであったり、感銘を受けた言葉であったり、あるいは信念であった。
おそらくは優佳の信念である言葉を何度も読み返す。彼女は何を思ってこの言葉を彫り、刃を振るっていたのだろうか。戦っている時の苛烈なまでの顔が思い浮かぶ。今は鮮明に思い出せるこの顔も、時が経てば薄れていくのだろうか。
涙は流さない。俯いて涙を流せるのなら、その力は前を向く為に使うべきだと由貴はシロに教えられている。そしてそれは真実だと知っていた。
「御剣大尉の事、好いていたのか?」
不意にシロが問うてきた。由貴は認識票の言葉を指でなぞりながら、曖昧に首を振る。
「俺は近衛で大士族で有馬家の現当主だぞ。個人的な好悪で人付き合いが出来る立場じゃない」
「でも、お前は嫌いな人間と仲良くできるほど器用でもない」
「そうだな……そうだな。そうだったな」
それが答えだった。軍衣の裾が下に引っ張られる。シロが噛みついていた。これは彼女のしゃがめと言うサインであり、由貴は素直に従った。
目線を合わせた所に、シロの舌が由貴の頬を舐めた。頬と言わず鼻、目尻、口、首筋とシロの暖かく、少しざらついた舌が這い回る。
シロがこういう風に甘えてくるのは珍しかった。霊種として由貴と契約した時の状況から、普段は由貴が全てを預けるような関係性になっている。
あるいはこれも由貴に対するシロなりの慰めなのか。身体を擦り寄せ、舌で舐め続けるシロを甘受する。ささくれ立ち、少しの刺激で噴出しそうな感情が和らいでいく。眼を閉じて、その温かさに感謝する。
「ありがとう、シロ。愛してるよ」
「辛くなったらいつでも言え。私はその為にお前の側に居る」
返事の代わりに、シロの身体を撫でる。多少乱暴とも言える手つきに、しかしシロは喉を鳴らして喜んだ。
それが有馬家当主の男と霊種である雌狼、一人と一匹の関係性だった。
遺品を持って近衛本部に戻ると、近衛参謀に出頭するように命じられた。遺品を置いて参謀室の扉を叩く。中から「どうぞ」と応えがあり、シロと共に入室する。
「有馬由貴大尉。命令により出頭しました」
うむ、と頷いて奥の机に座っているのは国立章弘中佐。近衛将校ではあるが、士族ではない。人心掌握と采配の巧みさを買われて御神楽国軍から引き抜かれた、市民階級の男だった。
近衛は基本的に士族で構成されるが、士族のみの部署は現場に出る衛士隊だけである。後方で指揮を執る佐官クラス、事務仕事などの内勤の部署には市民階級の人間も在籍していた。
国立と由貴との付き合いも入隊当初からで、それなりに長い。謹厳実直を体現したようなこの男は上官としても、個人としても信頼の出来る人間だった。
敬礼をしてから、来客用に設えられたソファーに誰かが座っている事に気付く。
年の頃は二十歳という辺り。若さと熟成の半ばの顔立ちが、凛と由貴を見据えていた。緩やかに波打った金糸のような髪が、さらりと揺れている。
白地に緑で縁取られた上等な軍装といい、すぐ横に立てかけられている大振りの剣といい、西洋の貴族なのには間違いがない。これだけは正装と違うと思われる、胸にかけたペンダントの石が黄色く輝いていた。
「中佐、彼女は?」
「彼女はアルテミシア・ル・ヴァナ・カリファート。ヴァリターナ皇国カリファート家の次女であり、皇国騎士団の百翼騎士、我々で言えば大尉階級にあたる」
そのままヴァリターナ語に切り替えて由貴を紹介する。ヴァリターナ皇国は世界でも有数の大国であり、その言葉も公用語として採用している国は多い。
御神楽でも、ある程度以上の立場のものなら日常会話程度の教養は有していた。もちろん、有馬家当主である由貴も例外ではない。
『貴公が有馬大尉か。私はアルテミシア・ル・ヴァナ・カリファート。よろしく頼む』
『どうも、こちらこそよろしく』
やや堅苦しい喋りに、彼女の出自がある程度高い階級の貴族だろうと見当を付けた。侯爵か、或いは公爵か。握手した手の平の固さに、横にある大剣が飾りではない事が知れた。
御神楽に大士族、士族、市民と区分けがあるように、ヴァリターナ皇国に代表される西洋諸国にも身分の区別がある。貴族階級と市民階級という、大別すれば二つだが、貴族はその中で更に細かく分類されていた。下から男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵、王位となり、格式を重んじる貴族社会ではそこに家柄の古さなども加わってくる。
そうして御神楽と同じく、貴族による罪を取り締まる為に貴族による騎士団が結成されていた。
御神楽は外国人の流入に非常に厳しい国として知られているが、流石にヴァリターナ皇国を無視できるほどに世界の輪から外れても居ない。人と違って技術の輸出入には積極的ではあるので、両者での交流はさほど珍しくなかった。
士族による近衛と貴族による騎士団というシステムの近似もあって、開放的な家風である佐倉などは騎士団と近衛の人員を交換留学させているほどである。
だが、同僚の御剣大尉が西洋式の剣で殺害され、その日の内にヴァリターナの人間が来るというきな臭さが、由貴の眉を顰めさせた。
「で、どういう事です?」
「今回の事件に彼女を参加させる」
端的な答え。国立の表情は微塵も動かない。由貴も表情を全て取り払ったかのようなのっぺりとした顔で国立を見た。
「意味が分かりかねますが」
「大尉、質問は明確にしろ」
「俺だって馬鹿じゃない。御剣大尉が西洋人と思しき人間に殺され、日付も変わらないうちにその事件の捜査にヴァリターナ皇国の騎士が参加する。奇妙だと思うのが当然でしょう。あるいは俺は、彼女が犯人ではないかとも疑っているのですが」
言ってカリファート家の次女を見やると、御神楽の言葉は習得していないのか超然とした態度で出された紅茶を含んでいる。
その姿に奇妙な違和感を感じて注意深く観察すると、胸のペンダントが今は紅に光っていた。どういった仕組みかは知らないが、色が変化する宝石らしい。いかにも貴族らしい、けれん味の効いた趣味だった。
「口を慎みたまえ、大尉。カリファート家は侯爵家であり、格で言えば大士族に勝るとも劣らない。彼女はカリファート家から奪われた神具が御神楽に持ち込まれたのを突き止め、こちらに協力を要請しに来たのだ。それ以外に他意はないと言っている」
「まさかそれをそのまま信じたわけではないでしょうね?」
「もちろん、調査はする。するが、彼女の国際法に基づいた要請を無視するわけには行かない。よって、君と共同で専従捜査をして貰う。御剣大尉を殺害したのはその神具に違いないと、彼女の言質も取ってある」
だから自分が呼ばれたのか、と由貴は舌打ちしたい気持ちを必死に隠す。同階級、大士族と侯爵という釣り合う家柄。ヴァリターナ語が喋れる。これだけ揃えば由貴を彼女にあてがうのも無理はない。
だが、気になる情報もある。今回の事件が神具による犯行という点だ。
神具は貴族にのみ扱えるもので、武具や道具、或いは着衣や装飾品など様々な形態で存在していた。
個人がそれぞれ神霊力を発現させる御神楽の士族と、神霊力を有する神具の能力を発現させるヴァリターナの貴族。近衛と騎士団というシステムは似通っていながら、そこに属する者達は対称的な存在だった。
「分かりました。ですが、最後に一つ聞いて良いでしょうか?」
素振りだけで国立が促す。その眼をひたと見据えて訪ねる。
「彼女の派遣に有馬の先代が関わっている可能性は?」
つい、と国立の眼が細められる。付き合いの長い人間だけが分かる、怒りの表情。由貴は自分が失言をした事を悟った。
「近衛は士族で成り立っている軍隊ではあるが、士族の家から横槍が易々と入るほど脆弱な組織ではない。事件を起こすだけならまだしも、こちらに人員を潜り込ませるのを許すほど、能なし揃いでもない。だからこそ、市民階級である私が大士族の現当主である君を部下に持っているのだ。あまり、近衛を舐めるな」
「は、申し訳ありませんでした」
逆鱗に触れてしまった事に対して詫びると、国立は鷹揚にそれを受け入れる。
「捜査の方法は大尉に任せる。君と彼女、双方が最大限の力を発揮できるように留意したまえ」
アルテミシアに向き直り、ヴァリターナ語で由貴と組ませる旨を告げる。貴族の娘は一つ頷くと。大剣を掴んで立ち上がった。その挙動に淀みがない事からも、日常的に大剣を側に置いている生活なのだと知れた。
「では行きたまえ。言っておくが、この事件に怒りを感じ、また早期解決を願っているのは私も同じだからな」
実直な国立の物言いに、由貴は丁寧な敬礼で返す。己に同意してくれる人がいるのは何ともありがたい事だと思いながら。
参謀室を出て第四部隊の執務室に向かう道すがら、それまで黙していたアルテミシアが不意に話しかけてきた。凛とした中にもどこか若さが伺える、聞き心地のいい発音が耳をくすぐる。
『私は何をすべきだろうか?』
『まず、貴女が知る限りの情報。犯行に使われた神具の説明と、犯人に心当たりがあるならそれも。後、襲撃を受けた俺の部下と面通しもして貰います』
「ふむ、それが私の潔白を証明する一因になるのかな?」
「そういう訳ではありま――ッ!?」
驚愕のあまり、立ち止まる。彼女は由貴がつられて御神楽語で返答するほど、完璧な御神楽語を操って見せた。立ち止まって相手を伺うような由貴を、優越と侮蔑の混じった眼差しで見据えていた。その胸の宝石は紫に輝いている。
「三代前のカリファート家に御神楽の士(さむらい)が逗留していてな。深く親交したそうだ。それ以来、カリファート家の人間は御神楽語の習得が義務になっている」
「……なるほどな」
つまりは、先程の参謀室での会話も全て理解していたと言う事だ。確認しなかった由貴と国立も迂闊だが、隠していた底意地の悪さに黒い物が腹に渦巻く。
「それで、貴公は私の事を疑っているようだが」
アルテミシアの物言いに、由貴は賓客用に取り繕う態度を完全に辞めた。軽く手を広げ、こちらも侮蔑するかのような軽い笑みを浮かべた。いい加減、事件から続く苛立ちが限界に来ていた。当主としての態度、近衛将校としての姿勢を取り繕う事が出来ない。
「当然だろう。この状況を見て、君が怪しくないと思う人間は少ないと思うがね。俺は自分を賢者だと思い上がるような人間ではないが、無知に甘んじる事の愚かさは知っている。そして現状に疑問を持たずに全てを受け入れるほど脳天気でもない」
石の色が変わる。紫から、紅に。そのかんばせは怒りで鋭くなっていた。どうやら、感情のようなものに反応する石らしい。どうにもキザな装飾具だと由貴は鼻を鳴らす。
「それに君の言を信じるならば、カリファート家が神具を奪われたお陰でこちらで事件が起こっている。そんな間抜けに付き合わされるこちらはたまったもんじゃない」
「無礼な男だな。この国に来る際に、私は御神楽の士というものに対して幾ばくかの期待を抱いていた。士というのはヴァリターナの騎士に勝るとも劣らない、誇り高い戦士であると伝わっていたからな。だが、士の頂点に立つ大士族とやらがこの有様か」
「礼儀はそれに値する人間を選ぶ。己の期待を他人に押しつけるような人間が、それに相応しいかどうか――」
「二人ともいい加減にしろ」
低い唸りと共に警告が発せられた。シロが牙を剥いて二人を睨め付けている。ふい、とその顎をかすかに揺らした。それの意味する所を悟って由貴が周りを見ると、廊下の真ん中で口論をする二人を、通りがかりの衛士達が怪訝そうに眺めている。
済まないと手を挙げて詫びると、シロは牙を納めて頷いた。一方のアルテミシアは驚いたようにシロを見つめている。
「い……犬が喋った」
「霊種である彼女が喋るのは当たり前だ。それに、シロは犬じゃなくカグラオオカミだ。間違えるな」
「いや、自己紹介が遅くなったのは私の落ち度だ、由貴。ミス・カリファート、私は白狼(シロウ)。よろしく頼む」
言って座り、耳を垂れた。人で言うなら腰を折って礼をした仕草である。白狼はシロの正式な名称であるが、幼少の由貴はシロと縮めて呼び、それが今に至るまで続いていた。
呆然としていたアルテミシアが、慌てて頭を垂れた。石の色は淡い桜色に変化している。
「あ、ああ。こちらこそ」
「由貴は若いが私の契約相手に相応しく、霊地を治める大士族である有馬の当主を務め、近衛の隊長たる能力も持ち合わせている有能な戦士だ。気は合わないかも知れないが、それは信じてくれると私は嬉しい」
「む、うむ」
やや不明瞭ながらも、もごもごと頷く。シロの言葉に、由貴はばつが悪そうに下唇を噛み締めた。この年上の相棒は、いつも自分の不手際を綺麗に納めてくれる。それが嬉しくもあり、十六となった今では悔しくもあった。
一瞬の沈黙。奇妙なその雰囲気を、由貴が手を振って打ち払う。
「ともかく、執務室に行こう。話はそれからだ」

